日本製のコロナ向けワクチン開発が、絶望的な状況となっている。
今年中の接種が見込まれていたアンジェスのワクチンが、大規模治験が必要になったことにより、早くても来年になるとのこと。
日本のワクチン開発は、どうして世界と比べて遅いのだろうか。
アンジェスを責めているわけではない。
資金力に乏しいベンチャーとしては、むしろ健闘していると言えよう。
その他の大企業は、何をしているのだろうか。
ここまで、世界に遅れをとるほどのレベルだったのだろうか。
こうなってしまう原因は、日本では、ワクチンへの不信感が強いというものがあり、それは一定程度あるのかもしれない。
しかし、それだけでは、この危機への対応としては説明しきれない。
やはり、日本国の危機対応の稚拙さが浮き彫りに出ているのだろうか。
これは、井沢元彦先生の説であるが、日本は、細菌テロを想定していないため、これに対処するワクチン製造のインフラを整備していないということだ。
これには、なるほどと腹にストンと落ちた。
平和ボケというか、安全保障を他国任せにしている日本では、起こりうることだろう。
もし、細菌テロなどの戦争を想定しているならば、それに対応するワクチンのを量産できる仕組みは事前に構築するはずだ。
そうしておけば、例え、ワクチンの開発で遅れをとっても、他国で開発されたワクチンをライセンス供与してもらい、日本において大量生産ができる。
このようなことは、危機が起こって初めて露呈されることなのだが、当然に危機管理力の欠如が原因ではあるものの、平時にはこのような議論が起こりにくいことも日本の特徴と言える。
なぜなら、日本には、言霊信仰があるから。
言霊とは、古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力で、発した言葉どおりの結果を現す力があるとされているものだ。
古代日本からの信仰であるが、現代においても、日本人のDNAに脈々と受け継がれている。
「縁起でもないことを言うな」とは、よく使われる言葉だ。
なので、日本では、不吉なことは言えない、言ってはいけない文化なのだ。
これは、契約主義の欧米では、理解できない文化だろう。
契約主義の文化では、問題が起こった時にどうするかは、事前に対策と責任の範囲を決め、契約に明記する。
ところが、言霊主義の日本では、問題が起こった時は、双方で協議しましょうとなる。
問題が起こることを事前に想定するのは、不吉なので、起こった時に考えましょうということだ。
このようなことが背景にあるので、未知のウイルスが流行することへの対策は、事前にはできないということになる。
そんなことをしたら、本当に起こってしまうので。
なので、今の事態は、起こるべくして起こっていることになるが、その代償は大きい。
しかし、代償は大きいが、これを経験しても、言霊文化はなくならない、つまり変わらないという見解なのだが、どうだろうか。