中国の三峡ダムが、決壊の危機だという。
中国の重慶では、集中豪雨で洪水が発生しており、すでに村ごと水没しているところが、いくつもある状態のようだ。
三峡ダムは、世界最大の水力発電ダムと言われているので、もし決壊でもしたら、下流域の被害は甚大になる。
武漢、さらには上海も影響を受けることになるので、まさに緊急事態といえる。
最近は、日本でもゲリラ豪雨がたびたび発生するようになり、毎年、洪水の被害が出ている。
今日は、熊本県を流れる球磨川が氾濫してしまった。
さらに、市房ダムで水位が上がっていることから、球磨川に緊急放流を行うとされており、危険な状態が続いている。
そもそも、ダムは、下流の洪水をなくすことが目的の一つなのだが、豪雨によりダムの上流でも下流でも洪水が発生してしまうと、機能を失ってしまう。
ダムを放水すると、下流の洪水がひどくなるし、ダムを放水しないとダムが決壊する可能性が高くなってしまうのだ。
こうなると、最悪なのはダムの崩壊になるので、無理をしてでも放水するしかなくなる。
究極の選択を迫られてしまうのだ。
三峡ダムの行方
三峡ダムは、2009年に完成したダムだが、建造前から、決壊時の被害の甚大さから、ダムを造ること自体が危険といわれていた。
貯水池は、全長約660kmに渡る超巨大なのもので、100万人以上の住民の強制移住や、名所旧跡の水没、また水質汚染や生態系への悪影響等も指摘されていた。
一方で、これだけの規模であるため、水力発電による電力供給のメリットも大きく、大型船舶の航行など、経済面での恩恵が期待できる。
私は、1993年に中国を訪れたのだが、当時は、まだ「三峡下り」という川下りができた。
ダム完成後、この三峡下りは、クルーズ船による旅へと変化し、景勝地であった三峡の風景も変化し、従来の三峡下り観光は衰退の様相を呈している。
今思えば、あの時、川下りをしておけば良かったと悔やまれる。
もう二度と見ることはできないものは、多少無理をして時間とお金をかけても、見ておくべきだった。
長江のスケールに圧倒
1993年の中国への旅が、私の海外旅デビュー戦だった。
始まりは、鑑真号で、大阪から上海まで2泊3日の船旅。
めちゃくちゃ揺れて、船酔いがひどく、3日間ほとんど何も食べられず、ずっと寝ていた記憶しかない。
半死半生で上海に上陸し、さらに必死の思いで宿探し。
当時は、まだサービス精神のかけらもないお国柄だったので、どこのホテルにいっても愛想なく断られた。
それでも、粘っていると、宿泊が許可されるという、毎回なんとも面倒くさい儀式を経なければいけなかった。
また、電車の切符を取るのも大変で、まず長蛇の列に並ぶのだが、やっとの思いで窓口にたどり着いても、これまた無愛想に切符はないと言われる有様。
ほとほと疲れ切ったので、比較的空いていた船を利用することにした。
上海から武漢までの船旅だ。
鑑真号に懲りて、もう船だけは嫌だと思っていたのだが、背に腹は代えられない。
2泊3日と聞いたので、当時は若かったので、まあ何とかなるかと。
しかし、いざ乗船してみると、3泊4日かかることが判明。
これも中国の洗礼かと、船室で息をひそめるしかなかった。
でも、この長江、とてつもないスケールに完全に圧倒された。
川だというのに、何しろ対岸が見えないのだ。
この体験ができただけでも、船を選択した甲斐があったというものだ。
このように、初めての海外旅がスタートしたわけだが、船室はなかなかの環境だった。
2段ベッドが4つ、16人が同室だったのだが、何しろ、中国人は唾をよく吐く。
これが、所かまわずで、船室内の床にも平気で唾をはくのだ。
これには、さすがに往生した。
多勢に無勢、しかもこっちは異国人なので、文句をいうわけにもいかず、耐えるしかない。
飯を食べる時以外は、ベッドの中で息をひそめていたことはいうまでもない。
思い返せば、あのような旅も、若いからできたことだと思う。
若い時は、金はないは時間はある。
旅は、その時に合った旅をすればよいと思う。
自由旅は、トラブルも多いが、思い出も多い。
今では、軟弱なビーチでくつろぐ旅しかしなくなってしまったが、またいつか、冒険もしてみたいと思う。
一刻も早い、コロナの収束を期待してやまない。