米国同時テロから19年、ニューヨークをはじめ各地で追悼式典が開かれた。
アメリカ大使館からも、下記ツイートがされた。
毎年9月11日に、あの運命的な朝に日本人24名を含む2,977名が犠牲となったことに哀悼の意を表します。大使館の職員は今朝、この悲しい出来事を追悼し、黙祷を捧げました。 https://t.co/EWT9YdQfkg
— アメリカ大使館 (@usembassytokyo) September 10, 2020
平成から令和の時代、現在進行形で日本は平和であったし、それが当たり前の日常だと捉えられている。
しかし、今日という日常を平和に暮らせることは、決して当たり前のことではないということを、思い知らされる。
一方で、平和が日常になるように、取り組んでいかなければならない。
そのために、何をなすべきなのか、私たちは考えて行動していかなければならない。
突然、思いもよらず命を落とすということはどういうことか。
ついつい、感情にまかせて人を非難したり、子供を理不尽に叱ったりと、後から思えば後悔するような行動をとってしまう。
平時であれば、謝ったり、関係修復することもできるだろうが、それが最後の別れとなってしまったら…。
こうならないように、心の奥底では、常に何が起こるか分からないと念じておこなければなるまい。
人にやさしくなりたい。
モンゴル800の「あなたに」の冒頭にこうある。
人にやさしくされた時、自分の小ささを知りました あなた疑う心恥じて、信じましょう心から |
この歌詞の裏を返すと、人にやさしくなれないと、疑心暗鬼になったまま別れることになってしまう。
親しい人と、疑いを持ったままの別れとならなにように、やさしくなれたらいいなと思う。
思えば、一青窈の「ハナミズキ」も、この米同時多発テロ事件を受け、ニューヨークに住む友人の無事を願って書いた歌詞だ。
「とにかく、彼と好きな人が無事でありますようにと願いました」と。
君と好きな人が 百年続きますように |
人生いろいろあるし、ままならないことばかりだ。
8月の自殺者は1849人と、去年の同じ時期に比べて246人増加している。
自分のことで精一杯の状況で、人にやさしくする余裕なんてないというのも分かる。
人生をどう捉えるかはそれぞれだが、人間はこの世に生を受ける時、泣きながら生まれてくる。
泣きながら生まれるということは、こんな辛い世の中に生まれたくないということなのかもしれない。
そして、死するとき、「穏やかな死に顔」と表現されるように、やっとこの世知辛い世の中を終えることが出来るのかと、安堵しているのかもしれない。
しかし、こんな世知辛くままならない世の中だからこそ、せめて親しい人に対しては、やさしくなれたらいいなと思う。
そうでないと、何のために生きているのか分からなくなってしまう。
今日から、その思いを強く持ち、生きていきたいと思う。