検事長によるコロナ禍での賭け麻雀で、ここのところ世間が騒がしい。
検察庁法改正案が見送りになった矢先のことで、何か恣意的なものを感じなくもないが、何せタイミングが悪すぎる。
国民みんながストレスを抱えながら自粛している最中での出来事だけに、バッシングも激しくなる。
普段では何でもないことも、タイミングによっては、看過できないものになり、また誰も擁護できないものとなる。
それが、検事長という要職にある人となればなおさらだ。
脇が甘かったと言わざるをえないであろう。
麻雀はグレーなもの
それはそれとして、根本的な問題として、賭け事は悪いことなのだろうか?
まずもって、麻雀は、一般的にお金を賭けて遊ぶものであることは周知の事実である。
今回の件でもいろいろと言われているようだが、賭ける金額の大小によって逮捕されるかどうかが変わるらしい。
数万円程度であれば問題なく、数十万から百万単位になるとダメだとか。
なんか、曖昧でよくわからないよね。
いいのか悪いのかはっきりしない、まさに日本的な整理。
いわゆる、グレーってやつだ。
パチンコはお咎めなし
パチンコも、本来的にいえば明らかにクロなのだが、これもグレーとされ、法に問われることはない。
そういえば、金沢市議が、コロナ感染後の自宅待機中に、休業要請となっているパチンコ店に行った事件も最近あった。
むしろ、こちらの方がよほど悪質で、即逮捕されてもおかしくないと思うのだが、どうも日本の国はパチンコに対しては甘い。
日本でカジノを解禁しようとすると、やれギャンブル依存症が増えると言ったり、治安が悪くなると反対されるのだが、パチンコも完全に依存症なのが、今回のコロナ禍で明らかになった。
みんなが自粛中に、休業要請されているパチンコ店に、朝から長蛇の列ができるという、あんな異常な行動を目の当りにしても、依存症問題は大きな議論とはなっていない。
このような矛盾が、堂々とまかり通る国なのかと思うと情けない。
お金を賭けるのはNG?
お金を賭けることは良くありません。
一般的にはこう教えられる。
でも、そもそも人間は賭けることが好きな生き物だ。
人は、常に何かに賭けて生きている。
夏の甲子園のが開催中止となり、高校3年生の夏は早くも終わってしまった。
いや、18年間の夢が終わってしまったのだ。
彼らは、幼い頃から甲子園に行くのを夢に、人生を野球に賭けてきたのだ。
そうだ、人は夢を叶えるために、人生を賭けるのだ。
甲子園だけではない。
経営者であれば、社運を賭けて勝負に出ることもある。
サラリーマンでも、脱サラして一発勝負に賭けることもある。
父親であれば、命を懸けて家族を守る。
話が少々大きくなっていきたが、遊びも同じなのだ。
本気になって遊ぶには、何かを賭けないと楽しくない。
では何を賭けるのかといえば、命の次に大切なお金ということになる。
それだけ大切なものだから、楽しめるのだ。
これも大切な人生の醍醐味だと思う。
これからの人生、何に賭けるか
さて、皆さんは、これから何に懸けますか?
人生100年時代、いつから何を始めても遅くはない。
何かを決断しようとすると、必ず反対する人がいる。
いわゆるドリームキラーというやつだ。
人は賭けることが好きな生き物のくせに、保守的な面も併せ持つので厄介なものだ。
でも、今からあなたがやりたいと考えていることを、反対する人は経験したことがあるのだろうか。
おそらくは、誰も経験がなく、分からないから不安で反対しているだけだ。
自分の人生は、自分で舵を取らないといけない。
決して、人にオールをまかせてはいけない。
さて、勝負に出るとしますか!