文部科学省が、中学生のスマートフォンや携帯電話の学校への持ち込みを、認める方針というニュースを見た。
今まで、国が禁止していたことに驚くばかりだが、これに対して、反対する人の方が圧倒的に多いことに、更に驚いている。
今や、社会になくてなならない便利なツールになっているスマホ。
心配になることも、心情的には分からなくもないが、あまりに感情的すぎないかと思ってしまう。
スマホ持ち込み反対派の理由
・スマホ依存症になり、学業の妨げとなる(馬鹿になる) |
このように、持ち込み反対の理由は様々あるが、そもそも論として、スマホを学校に持ち込む以前の問題として、スマホ自体が必要かどうかの議論があるのだと思う。
我が家でも、これは大論争になっており、この論点としては、「いじめにつながるリスクがある」ということに尽きる。
中学生は、まだ、理性や感情の抑制がきかないので、否が応でもいじめや事件に巻き込まれるかもしれず、そのリスクをおかしてまでも、スマホを持つ必要はないというものだ。
確かに、いじめや、悪質なサイトへの接触など、社会問題化している面もあり、危険性はもちろんあると思う。
なので、判断基準としては、必要な理由な何か、メリットは何かということになり、それを総合判断して決めるしかない。
中学生がスマホを持つメリット
まずもって、現代社会において、スマホが必要なことはもはや議論の余地がないであろう。
連絡手段はもちろん、カメラ、ビデオ、情報検索、ネットショッピング、ニュース(新聞)、趣味、ゲーム、投資、振込(銀行機能)、地図、メモ、翻訳、交通(電車の予約・乗換・決済)、クーポン、動画、音楽、読書、買い物時の決済など、日常生活するうえで、スマホはなくてなならないツールとなっている。
そして、スマホ1日あたり平均利用時間は、2時間以上3時間未満がも最も多く、次いで3時間以上4時間未満が多い、という調査があるように、現代人は、かなりの時間をスマホを利用している。
かつては、パソコンは一家に一台あったものだが、今では、スマホに代用されるようになり、その必要性は増すばかりとなっている。
このように、もはや社会の公器ともなったスマホが、なぜ、中学生にとっては悪の権化のように言われるだろうか。
それは、変化を嫌う、日本社会そのものに問題があるのかもしれない。
性悪説が蔓延る日本社会
日本企業を見てみると、よく分かる。
コロナ禍で、せっかく在宅勤務が増えたのだが、残念ながら旧態依然とした考えが多く、定着する気配がない。
その理由は、「在宅だとサボる」、という性悪説的考えだ。
こんなくだらない理由かと悲しくなるが、これが日本社会(特に年配層)の現実だ。
会社に行こうが在宅だろうが、仕事をしない奴はしないので同じなのだが、会社に出社さえすれば良しという、意味不明なことになっている。
また、変化することをことのほか嫌う、というか怖がる。
だから、常に現状維持。
評価も、加点評価ではなく、減点主義なので、推進する人も出てこない。
これでは、何も生まれない。
有意義なものを利用できる文化に
スマホが有意義なものなのは間違いないことなので、後は、中学生が、これをどう利用していけば良いのかに、知恵を絞るべきだろう。
スマホにリスクがあるなら、適切な使い方を早いうちから、家庭や学校で学ばせるべきなのだ。
家庭で教育するのはもちろんだが、もはやスマホは社会の公器になっているので、学校も我関せずとはいかないはずだ。
学校としては、持ち込ませないのが最も簡単な対処法で、責任も取らなくてよく都合が良いのだろが、教育のプロとして、果たしてそれで良いのだろうか?
教育のプロであるならば、しっかりと対応を考えて、教育すべきではなかろうか。
いや、むしろ、積極的に利用することを考えるべきだ。
動画配信等を活用して授業の補足を行ったり、紙の印刷物を電子化したり、連絡事項をメールで行うなど、利用方法は無限にある。
社会では、スマホをいかに利用するかで、仕事も生活も大きく変わるので、学生のうちから、スマホリテラシーを高めておくことは極めて有用なのだ。
また、試験の内容などもよく考えてほしい。
スマホで検索すればすぐ分かるものを、時間をかけて覚える必要があるだろうか。
今までと同じ教育を踏襲しているだけでは、社会の変化に対応できない。
辞書や参考書はもちろん必要だろうが、スマホで調べた方が圧倒的に早い場合はスマホを利用した方がよいだろう。
それを旧態依然とした「べき論」だけを押し通していては、教育はガラパゴス化してしまう。
思考停止せずに、便利なものをいかに利用するかを、考えた方がよい。
結論はスマホは持ち込みOK
以上のように、スマホは、リテラシーを高めて、うまく利用していくことを考えるべきだ。
また、地震や災害時の際の、連絡手段や安否確認には必ず必要になる。
天災は、いつ来るか分からないのだ。
GPS機能があるので、居場所を確認できるのも安心だ。
不安がってばかりいても、問題は解決されない。
問題があれば、どう解決するかを一緒になって考え、実行していくことこそが、教育というものではないだろうか。
これを機に、各家庭や学校で、前向きな議論が行われることを期待したい。