6月に入り、通常勤務に戻った人も多いのではないだろうか。
朝夕の電車は、既に濃厚な密状態。
マスクが日常の風景になった以外は、コロナなどなかったかのような様相だ。
何だか、尺全としないのは私だけであろうか。
マスクといえば、マスクなしの人の割合も増えてきている。
あの方たちは、どのような感性をしているのか、まるで理解に苦しむ。
「自分は気にしないから」と思っているのかもしれないが、いやいやマスクは人にうつさないためのものだから。
自分が感染しているかもしれないから、マスクをして人に迷惑をかけない。
これ、コロナ禍の常識じゃなかった?
大多数の人たちはしっかりとモラルを守っているのに、一部の人の迷惑極まりない自分勝手な行動は、残念でならない。
また消耗する日々が始まってしまう
テレワークによって、新たな働き方を見つけたかたと思っていたのに、また以前に戻ってしまうのだろうか。
あのストレスフルな、ひたすら消耗するだけの働き方。
やはり、アウトプットできないお偉方たちには、テレワークは受け入れがたいのであろう。
今回のテレワークで明らかになったことは、成果重視であること。
テレワーク=サボる、と捉えられていたが、むしろ逆で、何をアウトプットできるかが問われ、何もアウトプットできなければ、サボっていたと同じことと捉えられる実はかなりシビアなものなのだ。
今までは、会社に出社してさえいれば、何もしなくても仕事をしていると評価されていたので、成果重視のテレワークになれば、日本企業の喫緊の課題である「生産性」は確実に上がっていくだろう。
また、働き手にとっても、満員電車に乗らなくてもよく、さらに上司との不毛な人間関係構築に力を注ぐ必要もなくなるので、まさにWIN-WINなはずだ。
だけど、残念ながら、せっかくのテレワークの流れは、潰えるのであろう。
みなさんは、一度知ってしまったテレワークの快適さから、また今まで通りの勤務に戻るのを耐えられますか?
働き方を変えるには
会社に属している以上は、会社の判断に従わざるをえない。
いくら理不尽に思えても、消耗しても、土日が来るまで、耐え忍ぶしかない。
そして、また嫌な月曜日が始まる、この繰り返しだ。
この前、60歳で会社を辞める人が挨拶に来ていた。
これから、ハローワークに行くそうだ。
表情は、どこか寂しげだ。
この先まだ長いのに、どうするのだろうと心配になった。
だけど、あと10何年後、自分も同じ姿になっているかと思うとゾッとした。
毎日毎日、消耗して、神経を擦り減らして、行き着く先があの姿かと考えると、いたたまれない気持ちになる。
ではどうすれば良いのか…。
専門性を極める
求められる人材になるには、やはり専門性を極める必要がある。
日本の会社員に多いゼネラリストでは、その会社でしか通用しないことが多い。
今いる会社で、自分が興味のある分野での専門性を磨くことが出来れば、そこを追求していけばいいもかもしれない。
しかし、なければ、別の道を探るしかない、
人が何かを身につけるためには、1万時間必要だと言われる。
1万時間といえば、頑張って3年かかるだろうか。
でも、3年頑必死に頑張れば、専門性を身につけることができるということだ。
もし他にやりたいことがあるならば、思い切って決断するのもありであろう。
まだまだ、これから先は長いのだ。
3年もあっという間に違いない。
このまま決断できず何もしなければ、3年後、「ああ、あの時動いておけば良かった」と後悔するかもしれない。
人生、決断する時期が遅いということはない。
決断した時が常に起点となり、そこから新たな人生が始まる。
「人生いつでも今から」だ。