相棒と呼べる存在がいるのかどうか。
これは、人生において、結構大きなポイントなのかもしれません。
あの「杉下右京」でさえも、相棒を必要としています。
所詮、人間は、一人では生きてはいけない生き物だということなのでしょうね。
この相棒という存在は、何も人間である必要はありません。
冒頭の写真にありますように、犬などの動物も、相棒になり得る存在だと思います。
人は皆、自分の考えや思いを抱いて生きています。
しかし、それを言葉に表せているかどうかは、相棒がいるかどうかにかかっていると思います。
テレビに向かって話すだけでは、一方通行ですからね。
そして、何よりも、触れ合いが大切です。
肌と肌が触れ合うことで、生き物はパワーを得ることが出来るのです。
このパワーは、冬山での遭難時などで顕著に見られます。
いかに重装備で暖を取れても、一人でいると凍死する確率は高いでしょう。
これが、二人でいるとどうでしょう。
いかに寒くても、二人で抱き合い、お互いに熱を伝え合うと、生存する確率は高まると言われます。
この世の生き物は、生存するためには、心とともに肌の触れ合いが必要だということなのだと思います。
このように、人間は相棒が必要な生き物ですので、ここが欠如すると、心身のバランスが崩れてしまうことにもなってしまいます。
また、たとえ相棒がいたとしても、家庭内不和などの状態で触れ合いがないと、同じように具合が悪くなるのでしょう。
これは、なかなか難しい問題ですね。
修復しようにも、出来ないものもあるでしょうから。
となりますと、杉下右京のように、相棒が変わっていくというのも、必要なことなのかもしれません。
4代目相棒として、7年間支えた反町さんも、お役御免になるようですし。
人が成長し生きていく以上、その時々の相棒が必要になるということなのでしょうね。